東京の旅・NO.1 靖国神社編
どうも。写真容量がいっぱいになるのを避けるために
旅レポートをしていませんでしたが、
今回より全レポート制にして、今日の一枚は終了しようかと思います。
この事は、後日お知らせでも表示します。宜しくお願い致します。
本日のひとつ前の記事(雑談)→http://watasiwataiga0130.hatenablog.com/entry/2012/09/14/000154
7/27~8/5まで東京のおばさん家に行ってきました。
初日の事は雑談の方でちらりと書きましたので、
今回は2日目を書きます。
・靖国神社の由紹
靖国神社は、明治2年(1869)6月29日、
明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、
明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。
靖国神社は、明治7年(1874)1月27日、
明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた
「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」
の御製からも知ることができるように、
国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、
その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。
「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」
「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、
明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、
日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、
ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた
246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、
すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)
として斉しくお祀りされています。
以上、靖国神社オフィシャルサイトより
246万6千余柱・・・すごい数ですよね。
これだけの方々が祭られてらしゃるとは・・・驚きましたね。
で、お参りしてきました。
まずは・・・なんというものか・・・
靖国神社・・って書いてあります。
名前がわかり次第訂正します。
(前の人は母です。気にしないでください)
まずは鳥居です。境内側から撮りました。
九段坂方向から撮ると逆光が凄かったので・・・
で、いざ境内へ。
神門です。菊の紋と呼ばれるものです。
このたび、omrsenrisenさんが情報提供していただきました!
誠に、有難うございました。
ちなみに本堂は撮影禁止なので撮れませんでした。
で、つづいて遊就館へ。
・遊就館の由来
中国の古典、『荀子』勧学篇「君子は居るに必ず郷を擇び、
遊ぶに必ず士に就く」から「遊」「就」を撰んだものです。
国のために尊い命を捧げられた英霊のご遺徳に触れ、
学んでいただきたいという願いが館名には籠められています。
しかし、ここも撮影禁止でした。
なので、出入り口付近のみの展示物が取れるので、撮ってきました。
89式15糎加農砲です。
なんか・・・怖いですね・・・
96式15糎榴弾砲です。
さっきのよりかなり遠くまで爆弾が飛ぶようです。
ホントに長い・・・
この戦闘機、めっちゃ早いんですよ(F-17なんかには、ほど遠いですが)
第二次世界大戦中にタイや満州、中国、朝鮮、
等に大量に日本で製造され、送り込まれていった蒸気機関車
「C56」蒸気機関車。こちらは日本に唯一帰ってきた
10両のうちの一両である31号機。
この蒸気機関車は、三分の一が戦争関係で破壊されています。
詳しいことは、雑談で書きます。
みたいな感じです。
鉄道車両記は明日に書きます。
では。
続く